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『誇大妄想展開領域』 黒のカラーケントに メタリック系ボールペン

誇大妄想展開領域

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さわれない音をみる (4)

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 九つにして右目を無くした折、われは流行りの疱瘡を患った。それゆえ憶えはなれども、その歳だけは定かなのだ。
 死に人さえ数多でたほどの惨状であったそうだが、幸いにしてわれは軽くて済んだ……らしい。もしも左様であらざるならば、われは斯様にして生き長らえて居らぬであろう。……例によって憶えがまるで霞がかりゆえに、詳らかにすることが出来ぬのだ。身に残りし数多のあばたは、われ一命をとり留めしことの証である。
 されど二つ違いの妹は、その時節に往んだのであった……と思う。久しき憶えの中に七つ八つよりも長じたる妹の姿はあらず、病の床に伏せりしその赤き斑顔がはっきりと目に浮かぶのであるから、おそらく左様であったに違いあるまい。


 否、果たして真に左様であったのだろうか……。己に絵心が無かったなどと独り決めにしていたごとく、これもまた邪なるわれの、あらぬ思い込みに他ならぬのではあるまいか……。


 今の今まで疑り問うこともなしに三十有余年を過ごしてきた、幼き妹の末期についてここに解き明かし、それをはっきり見定めねばならぬだろう……。


 

 されど暗中模索ではが明かぬ。ここはまず思い出せる物事の後先を明らかにすることから始めるとしよう。


 疱瘡を患ったのはわれのほうが先であった。己が病の床にありし時に見た妹のに、あばたなど無かったことは確かであるからだ。さすれば妹は、われが治ったあと床に伏せたことになる。つい先ほど記したごとく、赤き斑顔を上から斜に眺めた憶えがあるということは、兄妹ふたり、時を同じくして伏せっていた訳でもなし。
 もしや、われからうつったのであろうか……それが元で往んだのであったか……。それ故われは敢えて忘れたのか。それなら話の筋は通る。左様な経緯であったならば、まだしも気が楽というものだが……。


 いまひとつ定かなるは、われが病に伏せりしとき、いまだ右目が健在であったこと……。熱にうかされつつ幾度も寝返りを打ったのを憶えているが、左の身が下になった折、右上手が……それは景色の大方を占めていたであろう……それが闇であったという憶えはまるでない。


 いま改めて思い返すに、病の床にありし妹の姿も、二つの眼で見たものなのだ。その面に向かいて床の左手から斜に眺めた景色が心眼にあるから、それは確かなことであろう。さすれば、その時分も未だ右目は健在であったはず……。


 母様は疱瘡に罹らなかったが、父様は患った。それでも既に請けていた仕事を描き上げるまで床に伏せることを潔しとせず、無理に無理を重ねて仕上げるや否や、絵の前に打ち倒れられた。われが納め先の屋敷まで使いに出され、幾組かの襖を引き取る人手を呼んできた。


 母様に言い付けられ、濡れ手ぬぐいを絞るため盥に水を汲んだ憶えがある。それが父様のためのものだったか妹のためだったか思い出すことは出来ぬが、水に映りし己の面に、思わずわれはじっと見入った……片目だけしかあらざるその変わり果てた己に……。


 いつ如何にして無くしたかは虚なれども、景色の半ばが失せて間もなき時分、いかに不自由したかは憶えている。物との間合いがうまく測れず、よく柱に身をぶつけたものだ。囲炉裏の灰に踏み込んだこともある。右足裏の半ばを覆う火傷はそのときのものだ。
 その時分、もはや家には父様と母様とわれだけしか居らなかった。やはり妹はその前に往んだのだ……。


 われにとりて最も大いなる虚なれども、かなり的が絞られてきたと言えよう。ここまでに明かした後先を読むならば、疱瘡患いと右眼とは直接かかわっておらぬようだ。妹の末期だけは如何にしても浮かばぬが、あの折の病に命を獲られたと推しても、何ら無理なところはあるまい。
 されども、やはりわれには腑に落ちぬ感がある。はっきり何処とは言い切られぬものの、上の推量にはどうも嘘があるような気がするのだ。そもそも、仮にわれからうつった死病であったところで、さほど有りがちな経緯であったならば、なに故にわれはそのことをまるで思い出せぬのか……。
 左様……われは思い出すことを恐れている。例の与太者を呪い殺したがごとき、何かおぞましき裏があるに違いないのだ……。


 われを苛めし他人にあらずして、身内の死に纏わる秘め事であるからには、容易く解き明かされる訳はあるまい。いくら深く憶えをまさぐり、努めて心を澄ませたところで、真の答が得られるとも思えぬ。


 さすればこの身に問うてみよう……。
 既に解き放ちし指さばきをもって、心が隠したる真の有り様に迫るのだ。




 先ほどと同じく左の眼をつむる。……の景色は闇となり、闇はりを映す楯となる。心が描くりは、現の影であり鋳型である。
 左の中指を堤の面に触れさせる。土の面はひやりと冷たく、指先をれさせる。手の甲は陽を浴びて、ほのりと温もる。絶えず暖は冷へと下り、指先を通して大地へ注ぐ。今し、われ、路となる。


 左の手首に力が降りてきた。またもゆるりと動き出す。わが手はいま、天地を繋いでいる。われもまた、今昔を繋いでいる。
 手の動きが速まってきた。何かの象りを描いている。どうやら面輪のようだ。またも再び、われが呪い殺しし人の似顔か……。
 不思議とわれに恐れはあらず。指さき跡の覚えから心眼に如何なるものが映ろうとも、もはや動ずることはあるまい。は鎮まり澄んでいる。われは今、己の昔を知り、受け入れる構えだ。


 心眼に映る形とは別に、閉ざされていた憶えが開けてきた。初めは気配に過ぎなかったものが、次第次第に浮き上がってくる……。
 手の動きに意を注げなくなってきた。されどしかし、今にしてようやく蘇ってきつつある事々を、如何にしても逃す訳にはいかぬ。
 左様だった……われは昔、よく斯様にして絵を描いていたのだ……あのとき一度限り意をもって描きし呪い絵にあらずして、瞑目のまま自ずから描き出される絵を……。されどそれら絵そのものはであらず、ただ心眼に象りを成すための、言はば呼び水に過ぎなかった。


 そしてそれこそが、実はいっそう……呪い絵よりも遙かに、恐ろしいものだった。


 何故ならば、わが意を離れて浮かんでくる象りや景色は、未だ起こっておらぬ物事の先駆けだったからである。


 左手の指一本を呼び水として、心の闇に立ち現われてくる物事は、一つ残らず現と化した……。そしてその大方は、幸無きもの、惨きものであったのだ。
 確かにあの頃は、疱瘡ばかりか疫病が流行ったし、凶作つづき故の飢え死にも多かったのみならず、更には大火 ・大水と、死に人はどこにでも大勢あった。われのみぞ知る先駆けとは係わり無しに、巷そのものが幸無き世ではあった……。されど、われ自らの覚えからするならば、己が心の奥底で望んでいるからこそ左様になってしまうのでは、との疑りに絶えず苛まれておったのだ。
 の心たるものは、さしも揺らぎ易いのが常なのではあるまいか………。


 今し、はっきりと思い出した……。いっとう初めの先駆けは、とぐろを巻きし絵であった。むろん自ずから立ち現われし象りである。されどあのときの呪い絵と直に繋がっていた。われが己の絵心 ・下心に恐れをなしたのも無理はあるまい。




 意の片隅で気づいていたが、未だ左手は動いているものの、既にわれには何が立ち現われてくるのか見えている……。


 それは妹の面輪なのだ……ことごとく赤き斑で覆われし……。


 定かでなかった憶えの全てが、今にしてようやく在るべきところへ納まったことが分かる……。
 二つの眼で見たものとばかり思い込んでいた妹の寝姿は、未だ右目ありし頃に先駆けとして見た景色だったのだ。現に両目で見た訳がない。妹が伏せりし時、われは既に片目だったが故に……。
 わが右目は疱瘡に奪われた。父様みずから取り除いて下さらなければ、命をも獲られていただろう……哀れな妹のごとく……。
 家で初めに患ったのは父様だった。次に罹ったわれが、父様からうつされたか、使いに出向いた屋敷でだったか、それは判じようも無きこと……。
 水鏡に映りし己が面に見入った盥は、妹のためのものだった……。
 囲炉裏の灰に右足を踏み込んだのは、妹が往んで直ぐの頃だ。間合いが測りきれなかったのではあらずして、囲炉裏脇に座りし妹の身姿が、ちらりとではあったが確かに見えたからである………。




 かつてぶちが我が呪いの身代りとなりしごとく、妹はわれの代りに往んだのではあるまいか……かのすぎて暫くの間、われは左様に思っていたものだ。爺になりし今あらためて想うに、にあらずと一体だれに断ぜられようか……。


 われには一人の息子があった。それがちょうど一回りの昔、目の大患いで往んでしまった。齢十のことである。元もと左様な血筋なのか、それともわれの所為で呪われておるのか……やはりわれは取り返しのつかぬ事を為してしまった……。
 四つ下の一人娘は幸いにして長じ、昨年 嫁いで、今は身重である。
 孫が九つになる時分まで、われはとても生きて居られまい。されど然るべき手は打っておかなければならぬ。


 父様は手業に優れ、石と土に通じていた。母様は草の道にいと長けていた。左様な御二親であったればこそ、われは片目を無くすだけで生き長らえることが出来た……。逆様に申すならば、片目を無事とり除いてもらうことが出来たのだ。
 一回り昔、その御技を受け継いでいなかった事が悔やまれてならぬ……。
 父様母様の遺品にはそれぞれ覚書きの束がある。己の昔を恐れるわれは、これまで手を触れることも無かった。それらを丁寧に繙き、いずれ己のものとせん。そして命尽き果てる前に、娘へと伝え行かん……。
 生まれ来る孫とそれに続く世代のため、ぜひとも左様に計らわなければならぬ。


 母様が煎じて下さった草を当てたにも拘わらず、右目の取り除きはすこぶる痛かった。然にあらざる訳があるまい。されどその激しき痛みさえも、間もなく痛みそのものではなしに、痛かったという憶えのみとなった。


 心の痛みは幾とせも続くが、身の痛みはすぐに忘るる………。




* ここに古風な現代語訳を抄出したものの原書は、築三百年を越える山陰の或る旧家で、奥座敷の襖の地紙に紛れ込んでいた三枚の古文書である。詳細な鑑定の結果、爾後一千年が経過していることが最近 判明した。



    2008. 12. 8 休


* 当作品は、文末の注をも含め、まったくのフィクションです。ここにその第4話を載せた当シリーズ自体、すべて筆者 妄想の産物に他なりません。



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Minr Kamti / 亀谷 稔

Minr Kamti / 亀谷 稔

1961年生まれ。
武蔵野美大卒。
建築プレゼンテーション・調理・知的障害者たちの陶芸制作活動補助、といった職を経た後に、2006年7月より創作活動に専念している微細画家 。2007年1月、銀座 - あかね画廊にて初個展。
今現在('08年4月)の描法は、かつて伐採予定地などで行なっていた舞踏を応用した自動筆記法である。
   著書 『全一の展開
         末端の必然』

             奥付より

* オフィシャルサイトにて本の内容をご紹介しております。購入のご決断をされる前に ぜひこちらをどうぞ……。

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