本文中にある褐色字は、書籍ならばルビを振りたい語句です。マウスポインタを合わせて下さい。ツールチップでその読みが表示されます 〔必ずしもその漢字本来の読みではないことに注意〕。
天界の生き物たち
半睡から醒めると知覚映像から色が消えた。
危ない、危ない……。わたしの悪い癖だ。
左側の眠りの際には偽像に惑わされないように、っていつも母さんに言われてる。それなのに、めくるめく彩色映像の踊りがおもしろくて、ついついそちらに気を取られてしまう。みんなと一緒に泳いでいるからいいようなものの、危険であることには違いない。
仲間が南下し始めてから3日め……。最上層は凪いでいる。遠くまで見はるかせられるかわり、視界にはまるで色彩変化がない。音見で周囲をとらえているからだ。つまり、今は夜だということ……。
息を継ぐときだけは、起きているほうの目を使う。べつにそうする必要はないのだけれど、天界へ跳ね上がるたびにたくさんの光り物が筋を曳いて後ろに流れるのが綺麗だから、わたしはいつだってそうしてる……。ほとんど真上に移り物がある。明日の晩にはまん丸になっているだろう。旅に出たときよりもだいぶ北に傾いてきた。
移り物が少しずつ形を変えるのは、光を食べたり吸い取られたりしてるからだって父さんから聞いたことがある。天界を駆けながら大物と争ってるんだ、って……。父さんは仲間の先導子なのでいろんなことを知っている。移り物の形や光り物の位置で方角を知るのも、南下 ・北上の時季を決めるのも、みんな父さんの役目だ。先導子は物知りでなきゃ務まらない。年とった育成子に先導される仲間もあるらしいけれど、大きくなってもこのわたしにはとても無理だと思う。おまえは半睡が深すぎるってよく言われる。
ほらほら、いまだって、また……。
ついさっき掠め見た移り物が、絶えず色を変えながらゆらゆらとわたしのそばを泳いでる。赤、緑、青、黄色……。恐れを知らない八頭のように、少し距離を置いてわたしを調べてるみたいだ……。色が変わるたびに体についた模様もつぎつぎ動く。棘玉 ・巻物 ・泳ぎ平……馴染みの生き物が順々に現われる。
周りにはたくさんの光り物……。それがみんな小さな舞子のように群れをなして舞い泳ぐ。なぜか移り物の偽像ほどには多彩じゃなくて、淡い金色か銀色ばかり……。でも、少し塊ったものどうしでいっせいに色を変えるから、まるで光の幕がひらひら流れていくように見える……。思わずうっとりするほどの光景だ。
移り物と光り物……天界の生き物たち。今は一緒に泳いでいるけれど、本当はここにいないことくらいわたしだってもちろん知ってる。これは右目に重なって映っているわたしだけの偽像だ。隣を泳いでる弟やその先を行く母さんには見えてないし、ほかの仲間たちの目にも映ってはいないはず……。きっと、みんなそれぞれの偽像を身の回りに纏っているのだろう。
つかず離れず、でも勝手気ままに泳ぎ回っていた移り物の軌跡が、だんだん整った形をなしてきた。わたしを中心にした輪を描くようにゆっくりと動いていく。距離はおとなの体 3個分くらい……。あいかわらず色を移ろわせているけれど、体の模様はもう変わらなくなった。見たことのない樹木のような細かい筋と点の集まりが、左右均等じゃない複雑な図像を形作っている……。
目も口もついていないけれど、それが移り物の顔なんだ、ってわたしには解った。まん丸の顔を絶えずこちらに向けながら、その天界の舞子はわたしを巡る……巡っていく……。
移り物が細かい舞子の群れを放ちだした。動いていく軌道の後ろを自分と同じ色の光で染めていく。顔の色が変化すると、光の帯もその色に変わる。2色の境目のところは綺麗な移行帯になっている。こんな光景みたことない……。
舞子の粒をたくさん吐き出したからだろう、移り物の顔がちょっとずつ欠けてきた。進んでいく方向からだんだんしぼんでくるように、まん丸だったその顔が片端から形を失っていく。いびつな丸からやがて半円になった。それでも顔に描かれた模様が縮むことはない。まるで平舞が頭の先から下の景色に溶け込んでいくような消え方だ。
顔はだんだんと細くなっていって、欠け始めたところからちょうど半周くると、まったく消えてなくなってしまった。でも、それは一瞬のこと……。こんどは反対側の円弧が細く現われて、しだい次第に太くなっていく。ずっと同じ速さで動きながら、さっき自分で放った前方の帯を吸い込んでいるみたい……。
追いつかれた舞子たちは逃げもせず、すすんで移り物の方へ寄っていくと、その顔を少しずつ膨らませていく。さっきとはちょうど逆の成り行きで、吸い込んだ帯の色がそのまま顔色に映される。模様の形はちょっと変わったようだ。大まかな造りは同じように見えるけど、消える前よりも間違いなく細かくなった。
もう帯と顔の区別がつかなくなってきた。今わたしの周りには、色とりどりの幕で緩やかに区切られた太くて大きな輪っかがある。はじめから周りにいた舞子たちは、その輪を縫うように群舞を演じてる。
全方位が光に満ちている……。
その幕の向こう側に、一緒に泳いでる仲間たちの姿がうっすらと見える。今夜の偽像はいつになく鮮やかだ。本当の移り物が満ちてきてるからだろう。毎月その頃には決まって右側が元気づく。
でも、これもやがて消えてしまうことがわたしには解ってる。どんなに深い幻想にも必ず終わりがあるものだ。そう思うそばからだんだん光が薄れてきた。多彩な光輪と舞子たちはその色を失い、ただの明かりに変わっていく。そして、それは薄明かりに……。
音見の映像が際立ってきた。色味が全くないかわりに、遠くまではっきり知覚することができる。こうしてる間にも何回か息を継ぎに上がったけれど、もう天界の生き物たちはついてきてくれない。こんどは右側が眠る番なのだ。
天界に見えるものたちは本当にそこに居るんだろうか? だって、跳ね上がったときに音見をやっても、何も見えないもの……。
天界にある全ては目で見ることしかできない。……っていうことは、本当は存在しないか、すっごく遠く離れてるってことだろう……。
天界にあるときは体が重くなる。なのにどうして移り物や光り物たちは落っこちてこないんだろう? やっぱり偽像のようなものなんだろうか……?
でも、わたしだけじゃなくて、他のみんなにも同じように見えてるってことは………。
こんなことを想うのは、左側だけが元気づいてきた徴だ。両側で起きてるときでさえ、わたしはほとんど連想などしない。
ああ、右側のわたしが眠りに落ちていく……。
天界の生き物たちが、まるで別れを告げるように、一瞬だけ顕れて、消えた………。
2008. 11. 4 了


